岩坂彰の部屋

第36回 ウェブニュースのスタイル

書籍の翻訳では精神医学・脳科学を中心にしている私ですが、とてもそれだけでは食べていけないので、主にウェブ掲載のニュース翻訳で日銭を稼いでい ます。こちらは科学ニュースから経済ニュースまで幅広く対応しています。ニュースの翻訳というのは、その分野の動向を常に追っていないといけないので、こ のように何足もわらじを履くのは、ほんとうは望ましいことではありません。作業コストから言っても割が悪くなります。

たぶん経済系だけに特化すればそれだけでやっていけるのでしょうけれど、ライフワークである精神医学を捨てることはできませんし、かといって精神医 学系の翻訳だけで食べていけるほどの需要はありませんので、どうしてもこうならざるをえません。経済専門でやっていらっしゃる翻訳家のみなさんには申し訳 ないのですけれど、ちょっと、おこぼれにあずからせていただいております。

ウェブニュース翻訳の草創期

2000 年2月25日の記事(WIRED)。まだウェブ上にあります。「ウェブログ(略してブログ)とは、ウェブ上にある興味深いコンテンツへのリンクとその批評 を記した、定期更新されているリストのこと」という説明があります。現在のブログとはずいぶんイメージが違いますね。原文へのリンクがいまだに生きている のがうれしいです。

経済の内容に関してはそのつど四苦八苦して調べものに奔走するわけですが、「ニュース」という面では、それなりに経験を積んでいます。ウェブ上で翻訳ニュースを配信するという形式の草創期、90年代からこの世界にたずさわっていますので。

最初はIT系ニュースでした。「ウェブログ」だったものが「ブログ」に変化していく最前線を経験しました。「.com」の「.」をどう表記するかで悩んだりもしました(当時はユーチューブなどありませんでしたから、向こうでどう読んでいるかもわからなかったのです)。

そういう細かいこと以上に問題になったのは、文体を含めたスタイルでした。ウェブ上で毎日リアルタイムでニュースを翻訳していくという、当時としてはまだあまり例がなかったサイトの責任者から相談を受けた私は、こんな提案をしました。

 1)固有名詞は極力カタカナ化する。
 2)「同(氏、社など)」を乱用せず、固有名詞を反復使用する。
 3)引用の途中に he said, を割り込ませるような英語的報道習慣は
   反映させず、引用をまとめて訳出する。

このサイトも、毎日リアルタイムで、というところが珍しかっただけで、当時ももちろん英語報道を訳出したコンテンツはたくさんありました。そのなか に、固有名詞を原語のままで「交ぜ書き」するという動きが見えていたのです。たしかに翻訳の手間を考えると、原語のままのほうがずっとずっと楽なのです が、読んでみるとどうしても抵抗があったので、ここは「こだわり」として守り通しました。〔注1〕

上記の3点は当時の提案の一部にすぎませんが、全体としてポイントは2つありました。「日本語化」するだけではなく「日本化」すること。翻訳理論用語で言えば「同化 naturalizing」ですね。そして、紙媒体と違って字数制限がない、という利点を生かすこと。

「同氏」や「同社」といった表現は、字数に限りがある新聞紙面などで多用されてきました。結果として、このような表現を使うことで「日本的」報道っ ぽくなるという効果があります。ですから、「同」に関しては上の2つの方針がぶつかり合うことになります。実際は、新聞よりは「同」が少ないという程度に 落ち着きました。

そのあたりは、厳密に規則を作ったわけではありません。というのは、インターネットというのは誰かが規則を作るものではないという思いがあったからです。

文体もウェブカルチャー

私がカタカナにこだわったように、それぞれの人のこだわりがあって、そういうほかのやり方をみて、これはいい、これはちょっと、という判断が、さらにウェブ上のコンテンツに反映されていく。ウェブのカルチャーとはそういうものです。

ニュースのスタイルについても、当時から、こうでなければいけないと思っていたわけではありません。紙媒体のスタイルをベースにして(実際には 『ニューズウィーク日本版』あたりをかなり参考にさせていただきました)、そのうえでこのメディアにふさわしいと自分が思うやり方をしていけば、いずれ 「ウェブ文体」というものができていくのだろうという見通し、というか希望、を持っていたのです。

そして今、報道の固有名詞に関して言えば、原語、カタカナ、両方併記(たいていはカタカナのあとに原語を括弧で入れる)〔注2〕の 形式が並立していて、いちおうの均衡状態にあるように見えます。15年前に危惧したように、固有名詞は原語のままというやり方が圧倒的主流にならなかった ことにほっとしていますが、それは別に私の努力のおかげでも、私に先見の明があったわけでもなくて、ただ、私と同じように感じていた人が、ありがたいこと にそこそこいたということです。もちろん原語のままのほうがよいと考える人もいるはずです。そういういろいろな考え方が反映された現在の状況が、ウェブ的 には「正しい」と言えます。これはけっして「何でもあり」ではありません。幅のある収束なのです。それが、ウェブ文体を形作っています。

携帯中心のブログ、スマホで見るツイッターなど、それぞれに特徴的なスタイルがゆるやかに固まっています。大きな画面で見る文章のスタイルも、ソーシャルメディアが拡大していくにつれて変わっていくことでしょう。

紙媒体の電子化も関係してくるはずです。実際に、私がいま携わっているメディアでも、紙とウェブの両方に掲載という形式があります。字詰めも文字書 体も異なるので、翻訳はやりにくいです。読者はあまり気にしていないかもしれませんが、1文の長さや読点の打ち方、漢字の使い方は、字詰めや行間の空き、 縦書き横書きによってずいぶん違うものです。しかし、電子書籍では表示形式が変更できますから、違う考え方が必要になるでしょう。実際このコラムでも、文 字の大きさやフォントは見ている人のブラウザー設定しだいですしね(それにしても、このe翻訳スクエアの基本表示は、1行の字数が多すぎ、または行間が狭 すぎる気がします。ご検討ください>担当さま:ご指摘を受け、表示スタイルを調整してみましたが、いかがでしょうか?)。

スタイルの変化は固有名詞や句読点や漢字といった形式的な面ばかりではありません。最近気にしているポイントに促音があります。さすがに報道で撥音 (なのだ→なんだ)を使うことはありませんが、促音便の形は使います。「〇〇にとって厳しい状況」なんていう表現は多用されますが、昔、紙媒体の記事によ くあった「〇〇にとり厳しい状況」は、もうあまり目にしません。この件についてはまだ考察不十分ですが、実際このコラムでは、促音や撥音の使い方はけっこ う意識しています。意識してます。意識してるんです。意識してるんですね。あれ、意識しすぎるとなんだかわけがわからなくなってしまったりして。

(初出 サン・フレア アカデミー e翻訳スクエア 2012年4月23日)